啄木を初めて紹介した、 土岐善麿(哀果)の功績。──長浜功著『啄木の遺志を継いだ土岐哀果』

長浜功著『啄木の遺志を継いだ土岐哀果』が出来上がりました。石川啄木をめぐる三部作を受けての渾身の作品です。

啄木を初めて紹介した、
土岐善麿(哀果)の功績。


石川啄木の名を知っていても土岐善麿(哀果)の名を知っている人は少ない。

実は哀果は啄木をこの世に初めて紹介した人物であり、哀果がいなければ啄木の今日はなかったと言って過言ではない存在なのだが、なぜか哀果の名は今以てあまり知られていないのが現実である。

本書は哀果が啄木と出会い、新しい文芸誌『樹木と果実』を出そうと意気投合し、いくつかの難関に遭遇し挫折し、啄木は失意の内に亡くなったあと、その遺志をついで文芸誌『生活と芸術』を刊行するまでの物語である。そして啄木の名を全国に知らしめた哀果が編んだ『啄木全集』に至る過程を加えている。

哀果の本名は土岐善麿であるが啄木と出逢った頃から「哀果」の雅号を用い、我が国初の『啄木全集』を出した後、本名の「善麿」に戻っている。したがって本書は「哀果」時代の青春を描いた一編である。ただし、本書では善麿の本名に戻った時期ではあっても無用な混乱を避けるためやむを得ない場を除いて「哀果」で通している。

哀果は啄木が亡くなってから70年も長く生きて数多くの業績を残した。したがって「哀果」を使った時期は僅か十数年に過ぎない。言い換えれば結果的に「哀果」という名は啄木の為に使ったようなものだった。

とは言ってもこの期間に哀果は啄木の全集を出しただけでなく、その遺志をついで『生活と芸術』という雑誌を2年9ヶ月通巻34冊を1人で編集発行し、また啄木の未発表の遺稿をこの文芸誌や新聞等に発表して啄木を世に送り出した。その功績は計り知れない。

にも関わらず哀果や善麿を知る人は現在でもほとんどいない。まして氏を語る人は皆無といってよく文芸界の情報に疎い私も驚きを禁じ得なかった。私が知る限り善麿について本格的に語ったのは冷水茂太という〝無名〟に近い人物ただ1人である。実はこの人物は〝無名〟どころか歌人として立派な業績を持つ人物であるが、氏のことはこの世界でもさっぱり忘れられていて、我が国で土岐善麿を語った唯一の人物であるにも関わらず、不謹慎ながら〝無名〟と称せざるを得ない仕儀なのである。

本書では一部であるがこの人物に登場してもらっている。しかし、残念ながら冷水の奮闘むなしく土岐善麿を語り継ぐ人は途絶えたままである。

それにしても戦前、戦中、戦後の多難な95年の歳月を生き抜き、膨大な著作を成した土岐善麿を語るには、1人の力では到底語り付くせない。本書がその嚆矢となって土岐善麿を語り継いでくれる機会になってくれればと願っている。

長浜 功

(本書「はしがき」「あとがき」の一部を再構成して掲載)


─目 次─

はしがき

Ⅰ章 幻の『樹木と果実』

一  啄木を支えた三人の男たち
二  土岐哀果
三  啄木の朝日新聞校正係
・・・1 幻の啄木の洋服姿
・・・2 啄木の校正係
四  『NAKIWARAI』余聞
・・・1 ローマ字と三行表記
・・・2 三行表記に関する諸説
・・・3 啄木の三行表記
・・・4 啄木と斉藤茂吉が絡んだ批評
五   楠山正雄の仲介
六  『樹木と果実』構想
・・・1 哀果の啄木宅訪問
・・・2 『生活と芸術』の具体化
・・・3 収支決算
七  挫折
・・・1 啄木の入院
・・・2 刊行の断念

Ⅱ章 啄木の死とその後

一  病床の呻吟
・・・1 啄木の錯乱
・・・2 一禎の家出
二  啄木の死
・・・1 牧水の「臨終記」
・・・2 金田一京助の回想
三  啄木の葬儀
・・・1 新聞の報道
・・・2 追悼─啄木
四  文芸界の哀悼
・・・1 江南文三『スバル』
・・・2 岩野泡鳴『早稲田文学』
・・・3 富田砕花の〝弔文〟
五  もう一人の朝日の校正係─関清治のこと
・・・1 新たな証言
・・・2 通夜にいた関清治
・・・3 不仲だった二人
六  土岐哀果の奔走
・・・1 節子夫人
・・・2 遺品の整理

Ⅲ章 『生活と芸術』創刊

一  『樹木と果実』以後
・・・1 歌集『黄昏に』
・・・2 『生活と芸術』の構想
二  『近代思想』と哀果
・・・1 創刊の動機
・・・2 創刊余話
・・・3 「大杉と荒畑」
・・・4 哀果の感慨
三  個人誌『生活と芸術』の創刊
・・・1 独特な編集方針
・・・2 創刊号目次
・・・3 「統一の無い雑誌」
・・・4 「投稿規定」
四  『生活と芸術』の廃刊
・・・1 「おい、土岐」
・・・2 「革命」と「国禁」
・・・3 廃刊宣言
五  『生活と芸術』残響
・・・1 文芸の門戸開放
・・・2 楠山正雄と荒畑寒村の論争
・・・3 論争の帰結
・・・4 堺利彦の結語
・・・5 斉藤茂吉と「歌壇警語」
・・・6 『生活と芸術』叢書の刊行
・・・7 『雑音の中』─一行歌への転換
・・・8 只一人の〝門弟〟冷水茂太
・・・9 『周辺』の創刊―第二の『生活と芸術』

Ⅳ章 哀果が編んだ初の『啄木全集』

一  初の『啄木全集』の刊行
・・・1 函館立待岬啄木墓
・・・2 哀果の『啄木選集』
・・・3 『啄木全集の構想』
・・・4 『全集』がベストセラーに
・・・5 一家の惨状
・・・6 波及効果
・・・7 哀果の手紙

二  哀果以降の『全集』
・・・1 改造社の『全集』
・・・2 吉田狐羊の登場
・・・3 『啄木日記』の刊行
・・・4 新たな『全集』への期待

あとがき

・啄木・哀果関連図
・関連年表


長浜 功(ながはま いさお)

1941年北海道生まれ、北海道大学教育学部、同大学院修士、博士課程を経て上京、法政大学非常勤講師等を歴任後、東京学芸大学常勤講師に任用、以後同助教授、教授、同博士課程連合大学院講座主任、2007年定年退職(濫発される「名誉教授」号は辞退)以後、日本文化と芸術に関する研究に専念。

【主な著書】
『教育の戦争責任─教育学者の思想と行動』1979年 大原新生社
『常民教育論─柳田国男の教育観』1982年 新泉社
『国民学校の研究─皇民化教育の実証的解明』1985年 明石書店
『国民精神総動員の思想と構造─戦時下民衆教化の研究』 1987年 明石書店
『教育芸術論─教育再生の模索』1989年 明石書店
『彷徨のまなざし─宮本常一の旅と学問』1995年 明石書店
『日本民衆の文化と実像─宮本常一の世界』1996年 明石書店
『真説 北大路魯山人─歪められた巨像』1998年 新泉社
『北大路魯山人─人と芸術』2000年 双葉社
『北大路魯山人という生き方』2008年 洋泉社
【主な編集・監修】
『名著の復興─柳田國男教育論集』1983年 新泉社
『名著の不幸─柳田國男文化論集』1983年 新泉社
『国民精神総動員─民衆教化動員史料集成』全3巻 1988年 明石書店
『公職追放─復刻資料』全2巻 1988年 明石書店
『史料 国家と教育─近現代日本教育政策史』1989年 明石書店

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啄木の遺志を継いだ土岐哀果
幻の文芸誌『樹木と果実』から初の『啄木全集』まで
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