| 詳報 | 日本近代演劇史研究会/編 つかこうへいの世界 ─消された〈知〉─ 社会評論社刊

1970年代にはじまった〈演劇革命〉の時代状況の中で、つかこうへいは登場した。62歳の若さで逝去したこの劇作家の戯曲・舞台・小説は、わたしたちに何を手渡そうとしたのか。14 人の著者がそれぞれの視座から、新しい演劇状況を生み出した稀有な劇作家の世界をひもとく現代演劇史研究の集大成。

定価=本体3000円+税 四六判並製436頁
ISBN978-4-7845-1142-6


目 次


序 論

消された〈知〉既存概念への叛逆
●井上理惠
1 鈴木忠志との出会い
2 鈴木に出会う前のつか
3 劇団「暫」
4 つか登場……!
5 〈遅れてきた青年〉の出世作「熱海殺人事件」
6 岸田戯曲賞と〈ト書き〉
7 「蒲田行進曲」から小説「広島に原爆を落とす日」

第Ⅰ部 戦争・革命へ向ける〈或る悪意〉

 第一章 

「演技人間」の登場 「郵便屋さん、ちょっと」から「戦争で死ねなかったお父さんのために」へ
●今井克佳
1 「年子」の戯曲
2 別役劇から任侠映画へ
3 戦争と世代への視点
4 情念の噴出
5 性と音楽 
6 社会批評の消失

 第二章  

〈カーニバル〉としての全共闘闘争 『飛龍伝 神林美智子の生涯』と〈天皇制〉
●関谷由美子
1 不向きな語り手
2 〈語り〉の戦略
3 殺される女神/天皇制の隠語

第Ⅱ部 〈もどき〉としての作品たち

 第三章 

つか版「父帰る」の問題性 「出発」論
●林 廣親
1 はじめに
2 上演とテクストの問題
3 ドラマの構成と物語について
4 時の経過を含んだ物語
5 わかりにくさをめぐって
6 つか式パロディについて

 第四章 

演出家のある視点 「出発」の作劇術
●菊川徳之助
1 はじめに
2 つかこうへい作品の登場人物
3 「出発」と「改訂版・出発」について
4 「出発」と「改訂版・出発」への補遺
5 「改訂版・出発」の上演
6 おわりに

 第五章 

戦略家つかの“「講談」語り”で囲ったゴドー版『松ヶ浦 ゴドー戒』
●斎藤偕子
1 はじめに
2 「ゴドー」の基本
3 「講談」という一人語りの構造
4 アンチ伝統・アンチ前衛

 第六章 

第二世代の〈生きのび方〉 「巷談松ヶ浦ゴドー戒」におけるパロディと大衆性
●久保陽子
1 はじめに
2 『ゴドー』受容史におけるみがわり・パロディという方法
3 『ゴドー』と任侠映画における相互批評性
4 笑いの演劇と大衆消費社会
5 おわりにかえて

 第七章 

『熱海殺人事件』という事件 分をわきまえる身体から溢れる真情
阿部由香子
1 はじめに
2 軽やかな「殺人事件」
3 〈事件〉のからくり
4 分相応であることへのこだわり
5 一人きりの伝兵衛

 第八章 

「定本 熱海殺人事件」論 きめる…虚構の演劇
●内田秀樹
1 「定本 熱海殺人事件」というテクスト
2 「きめる」という行動原理
3 「きめつけ」る木村
4 「きめつけ」成長する熊田
5 「きめ」られない大山
6 「きめつけ」を補助するハナ子

 第九章 

シナリオ「つか版・忠臣蔵」 「滅私」型の自己表出
●伊藤真紀
1 「大物語」としての「忠臣蔵」
2 「『忠臣蔵』幻想」のパロディ化
3 『仮名手本忠臣蔵』の勘平・お軽と、其角・志乃
4 「虚」を生きる命の重み
5 「滅私」のエネルギー
6 「見るもの」を「見返す」大どんでん返し

第Ⅲ部 〈つか版〉青春――二人の男と一人の女

 第十章 

『ストリッパー物語』の七〇年代 つかこうへいドラマの転換点
●星野 高
1 「静かな」つか演劇
2 『ストリッパー物語』の『愛と誠』
3 奇怪な愛の三角形
4 『共産党宣言』としての『ストリッパー物語』
5 「つかブーム」と『ストリッパー物語』

 第十一章 

〝内面の言葉〟が生み出したドラマ 小説「蒲田行進曲」
●鈴木 彩
1 活字の中の登場人物たち
2 小説版に潜む暗さ――小夏とヤスの心理的なすれ違い――
3 献身を逸脱するもの――抑圧されたヤスの感情――
4 ヤスがなりたいもの・なれないもの
5 続編「銀ちゃんが、ゆく」が手放したもの

 第十二章 

インテリ映画青年ヤスの〈階段落ち〉 自立の物語としての『蒲田行進曲』
●宮本啓子
1 はじめに
2 『蒲田行進曲』と〈階段落ち〉
3 東映京都撮影所の「スター・システム」
4 ヤスの主演映画『あたり屋』と映画『少年』
5 〈階段落ち〉とヤス
6 『新撰組』と『戦艦ポチョムキン』の〈階段落ち〉
7 長谷川康夫の〈階段落ち〉
8 終りに

 第十三章 

ドラマトゥルギーを超えた物語を求めて 「リング・リング・リング 女子プロレス純情物語」
●中野正昭
1 戻って来たつかこうへい
2 女子プロレス界の革命児・長与千種
3 おれはお前から逃げない
4 戯曲版『リング・リング・リング』
5 上演台本版『リング・リング・リング』
6 耐える女と男たち
7 千秋楽版『リング・リング・リング』
8 ドラマトゥルギーの行き詰まりと河原乞食の生命力

執筆者紹介(執筆順)


井上 理惠(いのうえ よしえ)
近現代演劇専攻。桐朋学園芸術短期大学特別招聘教授、日本演劇学会副会長、日本近代演劇史研究会代表。著書■『久保栄の世界』、『近代演劇の扉をあける』(第32回日本演劇学会河竹賞受賞)、『ドラマ解読』、『菊田一夫の仕事 浅草・日比谷・宝塚』、『川上音二郎と貞奴』全3巻(社会評論社)。共著■『20世紀の戯曲』全3巻、『木下順二の世界』、『井上ひさしの演劇』、『革命伝説・宮本研の劇世界』『岸田國士の世界』『村山知義 劇的尖端』他多数。


今井 克佳(いまい かつよし)
日本近代文学・演劇専攻。東洋学園大学教授。国際演劇評論家協会(AICT)会員。共著■『革命伝説・宮本研の劇世界』(社会評論社)、『井上ひさしの演劇』(翰林書房)。論文■「野田秀樹の演劇における〈言葉の担い手〉の系譜―『キル』から『ロープ』までを繋いで」『社会文学』28号、詩表現としての宗教性―「瞳なき眼」と「詩への逸脱」『有島武郎研究』3号、他多数。劇評■「鏡の〈ロンドン〉、紙の〈日本〉 野田地図番外公演「THE BEE」『第二次シアターアーツ』32号、「春琴」とサイモン・マクバーニーの「旅」(小劇場レビューマガジン『ワンダーランド』2013年9月25日)。


関谷 由美子(せきや ゆみこ)
日本近代文学専攻。文芸・映画批評。博士(文学・首都大学東京)著書■『漱石・藤村〈主人公〉の影』〈愛育社〉、『〈磁場〉の漱石 時計はいつも狂っている』(翰林書房)。共編著■『明治女性文学論』(翰林書房)、『大正女性文学論』(翰林書房)、『読まれなかった〈明治〉―新しい文学史へ』(双文社出版)。共著■『島崎藤村―文明批評と詩と小説と―』(有精堂)、『世界から読む漱石「こころ」』(勉誠出版)『井上ひさしの演劇』(翰林書房)。論文■『硯友社一面 明治二〇年代の想像力―「心の闇」の〈出世主義〉―』(大東文化大学人文科学研究所『人文科学』第二十三号)他多数。


林 廣親(はやし ひろちか)
日本近代文学・演劇専攻。成蹊大学教授。著書■『戯曲を読む術 ―戯曲・演劇史論』(笠間書院)共著■『岸田國士の世界』、『井上ひさしの演劇』(翰林書房)、『佐藤春夫読本』(勉誠出版)、『革命伝説・宮本研の劇世界』(社会評論社)。論文■「谷崎潤一郎「春琴抄」における〈恋愛〉
の読み方―久保田万太郎「鵙屋春琴」を補助線として―」『文化現象としての恋愛とイデオロギー』(成蹊大学人文叢書14 笠間書房)他多数。


菊川 徳之助(きくかわ とくのすけ)
演出家。日本演出者協会理事。元近畿大学舞台芸術教授。著書■『実践的演劇の世界』(昭和堂)共著■『二〇世紀の戯曲Ⅱ』・『革命伝説・宮本研
の劇世界』(社会評論社)、『関西戦後新劇史』(晩成書房)論文■「『夢・桃中軒牛右衛門の』演出ノート」(近畿大学文芸論集四巻二号)、「木下ドラマにおける受動的主人公」(日本演劇学会紀要三十七号)他。演出作品■「セチュアンの善人」(ブレヒト作)、「茜色の海に消えた」(芳地隆介作。委嘱作)、「よるのたかさで光をのぞむ」(鈴江俊郎作。委嘱作)他多数。


斎藤 偕子(さいとう ともこ)
アメリカ演劇・演劇理論・演劇評論活動。慶應義塾大学名誉教授。著書■『黎明期の脱主流演劇サイト―ニューヨーク1950-1960』(鼎書房)、『19世紀アメリカのポピュラー・シアター』(第43回日本演劇学会河竹賞受賞)論創社。共著■『演劇論の変貌』(論創社)、『革命伝説・宮本研の劇世界』『木下順二の世界』(社会評論社)、『岸田國士の世界』『井上ひさしの演劇』(翰林書房)。翻譯■『アバンギャルド・シアター1892-1992』(監訳)他多数。


久保 陽子(くぼ ようこ)
日本現代演劇専攻。博士(お茶の水女子大学)。お茶の水女子大学基幹研究院リサーチフェロー。駒澤大学、都留文科大学、聖心女子大学非常勤講師。論文■「寺山修司『毛皮のマリー論』」『演劇学論集』62号、「寺山修司『大山デブコの犯罪』―一九六〇年代アングラ演劇におけるジェンダー化された男性の身体表象をめぐって」『ジェンダー研究』21号、「寺山修司『浪花節による一幕 青森県のせむし男』―〈祝祭〉性と母親像をめぐって―」『国文』129号他。


阿部 由香子(あべ ゆかこ)
日本近現代演劇専攻。共立女子大学教授。日本近代演劇史研究会事務局長共著■『20世紀の戯曲』全三巻(社会評論社)、『岸田國士の世界』『井上ひさしの演劇』(翰林書房)、『木下順二の世界』『革命伝説・宮本研の劇世界』(社会評論社)、『向田邦子文学論』(新典社)。論文■「井上ひさし『化粧』の変容―虚実の多層構造から自己発見のドラマへ―」(『学芸国語国文』第47号)、「「劇作家井上ひさしが仕掛けた戦さ」(『社会文学』第48号)他多数。


内田 秀樹(うちだ ひでき)
法政大学大学院人文科学研究科日本文学専攻博士後期課程在籍。山梨大学大学院教育学研究科修士課程教科教育専攻国語教育専修修了。共著■『革命伝説・宮本研の劇世界』(社会評論社)。論文■「『紙風船論』―新しい演劇論の試み―」(『山梨大学 国語・国文と国語教育』第九号一九九九年八月)。


伊藤 真紀(いとう まき)
日本近代演劇専攻。明治大学文学部准教授。共著■『大正の演劇と都市』(武蔵野書房)、『岸田國士の世界』(翰林書房)、『革命伝説・宮本研の劇世界』(社会評論社)。論文■「小町の『生』を描く―津村紀三子の新作能『文がら』」『日本演劇学会紀要 演劇学論集』43号、「久米邦武の能楽研究と『人体美』―聴く能から観る能へ」『日本演劇学会紀要 演劇学論集』50号、「能舞台に上がった女性たち―大正十一年の『淡路婦人能』をめぐって」『日本演劇学会紀要 演劇学論集』56号、「『女申楽』と木内錠―近代戯曲の『女物狂』」、『法政大学能楽研究所能楽研究叢書6 近代日本と能楽』。


星野 高(ほしの たかし)
日本近現代演劇専攻。早稲田大学演劇博物館招聘研究員。共著■「『タイフーン』の世界主義――近代通俗劇にみる日本趣味」(『演劇のジャポニスム』所収、森話社)、「帝劇の時代―ヴァラエティー・シアターとしての大正期帝国劇場」(『商業演劇の光芒』所収、森話社)、他。


鈴木 彩(すずき あや)
日本近代文学専攻。慶應義塾大学文学研究科国文学専攻博士後期課程修了。博士(慶應義塾大学)。慶應義塾大学ほか非常勤講師。共著■『井上ひさしの演劇』(「頭痛肩こり樋口一葉」執筆)、『怪異を魅せる』(青弓社)、『革命伝説・宮本研の劇世界』(「新釈・金色夜叉」執筆)。論文■「〈瀧の白糸〉上演史における泉鏡花「錦染瀧白糸」の位置」『藝文研究』104号、「新派劇〈婦系図〉と原作テクスト―泉鏡花「湯島の境内」を視座として―」『日本近代文学』90号、「泉鏡花「南地心中」と「鳥笛」「公孫樹下」の人物描写―お珊への眼差し」『国語と国文学』94巻3号他。


宮本 啓子(みやもと けいこ)
近現代演劇専攻。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(早稲田大学)。白百合女子大学ほか非常勤講師。共著■『岸田國士の世界』(翰林書房)、『革命伝説・宮本研の劇世界』(社会評論社)。論文■「モリエール『ドン・ジュアン』試論―『移動』でみるドン・ジュアンの罪」『演劇映像学』45号、「岸田國士『古い玩具』再考―女性を中心にして」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』53号、「岸田國士『屋上庭園』に描かれた『視線』―一九二六・銀座百貨店」『演劇博物館グローバルCOE紀要 演劇映像学二〇一一』、他。


中野 正昭(なかの まさあき)
日本近現代演劇専攻。早稲田大学演劇博物館招聘研究員、明治大学ほか兼任講師。著書■『ムーラン・ルージュ新宿座 軽演劇の昭和小史』(森話社)。
共編著■『浅草オペラ 舞台芸術と娯楽の近代』『ステージ・ショウの時代』(森話社)。共著■『戦後ミュージカルの展開』(森話社)、『A History of Japanese Theatre』(Cambridge University Press)、『古川ロッパ 食べた、書いた、笑わせた! 昭和を日記にした喜劇王』(河出書房新社)『日本表象の地政学―海洋・原爆・冷戦・ポップカルチャー―』(彩流社)他多数。


 あとがき(抜粋)

つかこうへいが慶應義塾大学に入学した一九六八年秋にイギリスの劇作家アーノルド・ウエスカー(一九三二~二〇一六)が来日した。〈ウエスカー
68〉と呼ばれた催しで招かれたのだ。これは演劇界のちょっとした〈事件〉だった。木村光一がウエスカー三部作(①「大麦入りのチキンスープ」、②「僕はエルサレムのことを話しているのだ」、③「根っこ」)を一挙に上演したいと考えていたことからこの企画が始まったらしい。野村喬によれば、氏が「ベルリンで開催中の〈ブレヒト対話68〉の真似をしようと言い、宮本研が日本のわれわれの問題とすることを提案したのが〈ウエスカー68〉になってしまった(略…これまでのような各新劇団の主導ではなく)若い人が音頭取りして呼びかけ」(『テアトロ』一九六九年一月号)た初めての試みであった。老舗新劇団の若手にも68年現象が起きていたのだ。

一〇月末にウエスカーは朝日生命ホールで講演(「断片化を超えるもの」『テアトロ』一二月号・一月号掲載)、一一月三日に①と②を木村演出で(①江守徹・長岡輝子・加藤嘉・清水良英出演、②湯浅実・清水・みきさちこ・片岡あい出演)、③を観世栄夫演出で(今福正雄・伊藤牧子・吉行和子出演)連続上演、六日にはシンポジュームがあった。「延べ一万人の参加者」(野村喬)が集まり一連の企画は成功する。もちろんプロやアマの演劇青年や学生たちが沢山集まったからだ。若者で満員のシンポジュームの客席でぼんやり学生だったわたくしでも感じた〈奇妙な違和感・にがさ〉を今も思い出す。

つかこうへいはこの催しの客席にいたのだろうか‥…と思う。ウエスカーは芸術によって社会変革が可能になることを望んでいたし、連帯を重視した。そして地域社会に根を下ろす芸術活動を考えていた。シンポジュームでは招いたウエスカーをターゲットにするような雰囲気があって、それがわたくしの〈にがさ〉になって残った。

ウエスカーが「演劇による社会変革のための教育」が芸術的になされなければならないと主張すると、「ナンセンス!」の言説が会場に飛び交った。大笹吉雄は〈ウエスカー68〉についての一文の中で、サルトルの「二十億の人間が飢えている今、文学は何ができるか」という問いを問うまでもなく、演劇は何ができるかといえば、「演劇は殆んど何もできはしない」。それでも何かできるはずだと問えば、「弱いながらも、そして不確実ながらも、少なくともウエスカーが残して行ってくれた〈連帯〉を、より強固にするしかない、(略)もちろん、おのおの勝手(な方法…井上)であっていい」のだが…と記していた(『テアトロ』一九六九年一月号)。

つかこうへいを名乗る前の金原峰雄は、きっとどこかに座っていて会場に蔓延した〈にがさ〉を受け止め演劇への扉をあけたのではないか…、彼は〈連帯〉ではなくて、羽仁五郎の指摘したような「まずあるものをぶちこわす」思想を持つことを選択したのではないか…と密かに夢想している。 つかこうへいの足跡は、先人たちの正や負の遺産を〈切り崩し〉て大衆が主人公の社会へと進む扉をあけていたからだ。

井上理恵


投稿者: 社会評論社 サイト

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