第3回 キオクのヒキダシをつくる ●篠原徹/著『民俗の記憶 俳諧・俳句からみる近江』より

琵琶湖・烏丸半島からの夕暮れ(撮影・金尾滋史)

滋賀県立琵琶湖博物館・篠原徹氏の著作『民俗の記憶 俳諧・俳句からみる近江(キオクノヒキダシ3)』より、冒頭の「はじめに」をお読みいただけます。(全3回)

第3回
キオクのヒキダシをつくる

篠原徹
(滋賀県立琵琶湖博物館)

 

自らの句も他者の句もおもしろいと思ったものは「一行知識」として詩嚢に収めるのが近世の俳人の流儀であったと思われるが、もうひとつ詩嚢に蓄えられた句の効用について述べておきたい。

私が駄句千吟と発起して句作を試みるようになったのは十二、三年前である。経緯については語るほどのことはないけれども、蕪村の「遅き日のつもりて遠きむかし哉」の前書きに「懐旧」とあるように遠く過ぎ去った日々を思い出すようになったからである。

この句では遠く過ぎ去った日々を甘美な思い出としてなつかしく思うというのが普通の評釈であろうが、私自身の場合は「懐旧」ではなく「悔恨」のことばかりが思い出される。

中国雲南省の紅河県の壮烈な棚田地帯を五年ほど断続的に調査していたが、この調査もこれで終わりとなり調査地のヤオ族の山村で別れを告げて立ち去る時、句を作ってみたくなった。

その時の二句は次のようなものである。

(藍染めを得意とするヤオ族の村で)
藍 染 め て 布 青 々 と 山 暮 ら し

(大冷山のヤオ族の村を去るとき)
振 り 向 け ば 風 韻 の 山 に 夕 陽 か な

この二句は私の詩嚢のなかに他者の気に入った句と共に入っている。この句を思い出すたびに私は藍染めを得意としたあるヤオ族の村を訪れたことを村のたたずまいから人びとの生活風景まで鮮明に思い浮かべることができる。

二句目は私が住み込んでいた村を去るときに作った。下の町から二時間から三時間かけて登ったところにある山のなかの村であったが、この村から見下ろす谷にはときどき雲海が発生する。雲海とそれから突き出る峨峨たる山々の風景は見惚れるほど素晴らしいものであった。

この句を思い出すと村の風景と村人とのつきあいを鮮明に思い出すが、これは句作の効用といっていいものである。

つまり俳諧・俳句は記憶を喚起する装置なのではないか。

旅や調査で嘱目の句を作ると、こうした効能が潜んでいたことを発見した。これは実際に作ってみなければわからないのであるが、旅を常住坐臥とした近世の俳人たちが旅で作った句を詩嚢に放り込めば同じような役割を果たしていたと思われる。冒頭に述べた俳諧・俳句は「キオクのヒキダシ」であるということは、詩嚢の自らの駄句は記憶の喚起装置であるという意味でもある。

(以下、本書。)


 

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著者紹介 篠原徹(しのはら とおる)1945年中国長春市生まれ。民俗学者。京都大学理学部植物学科、同大学文学部史学科卒業。専攻は民俗学、生態人類学。国立歴史民俗博物館教授を経て、滋賀県立琵琶湖博物館館長を勤める。従来の民俗学にはなかった漁や農に生きる人々の「技能」や自然に対する知識の総体である「自然知」に目を向ける(「人と自然の関係をめぐる民俗学的研究」)。著書に『自然と民俗 ─心意のなかの動植物』(日本エディタースクール出版部、1990年)『海と山の民俗自然誌』(吉川弘文館、1995年)『アフリカでケチを考えた ─エチオピア・コンソの人びとと暮らし』(筑摩書房、1998年)『自然とつきあう』(小峰書店、2002年)『自然を生きる技術 ─暮らしの民俗自然誌』(吉川弘文館、2005年)『自然を詠む ─俳句と民俗自然誌』(飯塚書店、2010年)『酒薫旅情』(社会評論社、2014年)など。


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