高田渡の詩精神と、反骨の原点に父がいた。

本間健彦/著『高田渡と父・豊の「生活の柄」【増補改訂版】』刊行から1年。あらためて本書の読みどころをお伝えしたいと思います。

高田渡という類い稀れな個性が誕生するまでの前史をヒューマン・ドキュメントしてみようという思いから編まれた。

本間健彦/著『高田渡と父・豊の「生活の柄」【増補改訂版】』
あとがきより抜粋※

◆『新宿プレイマップ』

かつて私は、高田渡がフォーク歌手としてデビューした1960年代末から70年代初頭にかけて、新宿の街で『新宿プレイマップ』という若者向けのタウン誌の編集者をしていたことがあった。これは最近の話なのだけれど、本箱の隅に埃をかぶっていたその雑誌のバックナンバーの頁をパラパラとめくっていたら、高田渡が寄稿している記事が出てきたので、「おっ!」と喝采の声をあげそうになった。

高田渡のライブなどでのトークは、志ん生的な語り口の面白さで評判だったようだが、若い頃のこの一文などにもその片鱗がうかがえるし、あの時代の若者たちの息吹が彷彿されて懐かしかった。じつは高田渡は、私が編集者を務めていたその雑誌にもう一本寄稿していたことも、そのときに知って二度びっくりしたのだった。

◆「人間屋の話を聞き、伝えていこう」

長い間タウン・オデュッセウスとして漂流の日々を過ごしてきたのだが、1992年10月にインディペンデント・マガジン『街から』(隔月刊)を創刊し、ライフワークのつもりでその小冊子の編集発行を今日まで続けてきた。私は編集の傍ら、この小冊子でインタビュー記事を担当し、同誌の創刊50号記念にそれまでに掲載してきた17人のインタビュー記事を『人間屋の話』と題して単行本化し、街から舎から刊行した。(ちなみに、このインタビュー集には、佐藤真・仲田修子・矢崎泰久・マルセ太郎・喜納昌吉・藤本敏夫・黒田オサム・浜野佐知・永井愛・趙博・森崎東といった面々に登場していただいた。)

そしてその後も、『街から』では続編のインタビュー記事制作を行っていたのだが、そのゲスト候補として名の挙がったのが高田渡だった。かれを推奨してくれたのは、『街から』の会員読者の吉見隆さんで、吉見さんは渡さんご愛用のTシャツ屋さんだった。高田渡は、「人間屋の話を聞き、伝えていこう」というこのインタビュー記事の企画趣旨にまさにうってつけの人物だったから、私は早速吉見さんに高田渡さんへのインタビュー取材のお願いをしてもらうことにした。

しばらくして、高田渡はその頃、かれが主人公のドキュメンタリー映画『タカダワタル的ゼロ』の制作に関わっていて忙しいので、それが一段落したら……という返事が返ってきた。私は楽しみに待つことにした。ところが、それからしばらくして、私は、高田渡の訃報に接したのだった。私は、高田渡に会い、インタビュー記事を書く機会を永久に失ってしまったのだ。かれの早過ぎる死に遭遇し失われた存在の掛け替えのないことに改めて気づいた。私は主宰する小冊子に、前記の映画の題名を借りて「タカダワタル的ライフスタイル再考」と題した追悼文を書いたが、それでは気持ちが収まらなかった。

◆高田豊の反骨精神

私は、高田渡の三周忌の命日にあたった2007年4月から、『街から』誌で「フォークソングの吟遊詩人 高田渡紀行」と銘打った連載記事を書き始めた。「高田渡紀行」と題しながら、父親の高田豊の足跡を辿ることに主眼を置いた理由については序章で述べたとおりで、もう少し正確な表題を付けるとするなら「高田渡の源流を紀行する」とでもするのが、筆者の意図に適うものだったのかもしれない。

それにしても高田豊という人物の評価はどのように位置づけすればよいのだろうか。おそらくかれの生き方は、現代の平均的市民社会では、いや戦前の日本の社会においても、けっして正当に評価されないだけでなく、むしろ無視されたり罵倒される類のものと思われる。けれども、私は、高田豊の生き方に、青年時代に愛読した太宰治・坂口安吾・織田作之助等、いわゆる破滅型・無頼派作家たちと通底する反骨の精神を発見し、懐かしいような共感を禁じ得なかった。

なぜなら、かれらは、日本の近代社会が形成してきた市民社会に背を向けた生き方を貫いたアウトサイダーたちであり、そのような生き方を貫くことで、真っ当な人間の在り方を主張した人たちだったからである。

戦後世代の高田渡は、表向きは父親のような破滅型の生き方はしなかったけれど、その反骨の精神は、かれの歌と生き方の中にしっかりと受け継がれていて、それが独特の存在感をし出す原点となっていたのだと思う。私がこの本で書いてみたいと思ったのは、そういうことだった。

◆古いフォークソングに歌われている主人公のような父と子の物語

このたび増補改訂版が出版された。初版刊行は2009年だったから、何と7年ぶりに増版となるわけで、朗報であり、大変嬉しい!

そして、この快挙が達成できたのは、亡くなって久しい、高田渡というフォーク歌手の歌に、今も、耳を傾ける人びとのいること、そういう地下水脈的バックグラウンドが存在するお蔭であろう。

本書は、日本の近・現代史の最大の出来事だったといっていい戦争の時代と高度経済成長時代に背を向け、反時代的な生き方を貫いた、高田渡とその父豊の、まさに古いフォークソングに歌われている主人公のような父と子の物語なので、もしかしたら耳障りと感じる方もおられるかも知れない。しかし、こんな無明の閉塞時代に陥ってしまった時代だからこそ、必読のドキュメンタリーではないか、と著者は自負している。

本間健彦


※この記事は、社会評論社刊『増補改訂版 高田渡と父・豊の「生活の柄」』の「あとがき」と「増補改訂版にあたって」を再構成して配信しています。


目次

序章
1 ─ 明治の男、祖父高田馬吉の話から
2 ─ 燃えながら燻っている炎みたいな青春
3 ─ この道の端れに明日はあるのかい
4 ─ 三代にわたる戦争嫌いの血筋
5 ─ 国敗れて山河あり、郷里北方での再出発
6 ─ 引越し貧乏一家の東京巡礼
7 ─ 深川ニコヨン・ブルース
8 ─ 「東京の穴」に墜ちた、父と息子たち
9 ─ 高田豊の死と四人の息子たちの巣立ち
10 ─ 父と仲が良かった佐賀の叔母さん
11 ─ 自転車に乗って駆け抜けた肥前鹿島の日々
12 ─ フォークの吟遊詩人の旅立ち
13 ─ 骨壺と花瓶─アディオス、渡!
14 ─ 疾風怒濤の京都フォークリポート
15 ─ 夕暮れに仰ぎ見る〈私の青空〉
[ボーナストラック] 高田渡に贋作を駆り立てた高木護の詩の魅力
[ライナーノーツ]Like father, like son. ─ 中川五郎
あとがき

高田渡と父・豊の「生活の柄」

高田渡と父・豊の「生活の柄」

本間健彦/著 増補改訂版
四六判並製 271頁
定価=本体2000円+税
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投稿者: 社会評論社 サイト

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