| 詳報 | 田村紀雄/著 移民労働者は定着する 『ニュー・カナディアン』文化、情報、記号が伴に国境を横切る 社会評論社 2019年6月刊

移民労働者は定着する ──『ニュー・カナディアン』文化、情報、記号が伴に国境を横切る

田村紀雄/著

定価=本体2300円+税 ISBN978-4-7845-1366-6 四六判並製272頁

『バンクーバーの朝日』で近年コミックや映画でも話題の日系カナダ人。なかでも『ニュー・カナディアン』発刊に携わった日本人たちは、第2次世界大戦に日本が突入してゆく時代に稀有なエスニック集団のかたちを残した。本書は現地取材と手紙文書などで彼らのコミュニティの変容を明らかにする。外国人労働者受け入れ時代に問いかける、壮大なる普通人ドキュメンタリー。


はじめに ─フィールドノートへのメモ(全文)

日本が「外国人労働者」を、法によって受け入れるということ、種々問題点を指摘されながらも二〇一九年からスタートした。多数の産業、職域で採用されるだろう。この「外国人労働者」、すでに多くの国、地域でIMW(国際移動労働者)、難民、移民などの名前でよばれている労働力とどう違うのであろうか。

いやむしろ日本では、国際的にもあまい規制の留学生のアルバイトから、招聘専門家にいたるまで、日常目にしている人たちとどう区別するのだろうか。これまである程度「自然」の流れであったものが、国家による計画的な流入になることだ。人は道具でもものでもない。国家、企業、富のちからの側が不要と判断したとき、もとに戻すわけにはゆかない。少し、きびしくいえば、われわれ日本国民全体が、発展途上国の労働力を搾取しているか、のようだ。

過去、「先進国」が植民地等から「外人部隊」、傭兵、労働者等で移入した労働力は、その国に別の形のコミュニティを残した。実は日本でもすでに多数の「エスニック・コミュニティ」が生まれている。われわれは、そのような時代にはいったのである。

われわれは、一九八〇年代から「エスニック・メディア」の研究会を運営してきたが、日本国内で発行されているエスニック新聞は百種をこえることを理解した。日本に生まれつつあったエスニック・コミュニティがそれぞれの言語で発行している、なかば「難民」として住み始めた集団のミニコミ的のものから、特定の国の支援をうけながらその国の国益を堂々と主張するものまで多様だ。共通するのは、日本における「言論・表現の自由」、進んだ編集・印刷技術、広告・頒布・マーケティングの経験等を十二分に吸収していることだ。ちいさなエスニック集団が、近隣社会(ネイバーフッド)に成長し、エスニック・コミュニティに確立するには、食品、信仰、交流サロン等の生活装置が必要だが、情報のネットワークとしてエスニック新聞やインターネット環境の装置は不可欠である。

本書は、そのすぐれた事例として、カナダの日本人移民労働者のコミュニティ創りと、その装置としての日本語週刊新聞『ニュー・カナディアン』の歴史を書いたものだ。

『ニュー・カナディアン』は、太平洋戦争勃発直前の一九三六年末にバンクーバーの「日本町」で創刊され、戦争で「町」は閉鎖され、全日本人・日系人が広いカナダの国土の中に散りじりに「追放」されたなかでも、生き続け、かれらの灯火になり通した。戦後、「日本町」は再建されただけでなく、西海岸から大西洋岸までのすべての州に生活をうちたて、無数の「近隣社会」を産み落とした。日本人やその子孫である日系人は、カナダで日本国家の利益を代表してもいないし、国益を強調する存在でもない。ひとりひとりの人間として、生きることであった。

このフィールドワークをわたしは記録しているうちに、世界的にも稀有なモデル的エスニック集団である感をつよくした。『ニュー・カナディアン』に拠った日本人・日系人は戦後カナダ政府の高官になるもの、カナダ軍の兵士になるもの、大学教師、ジャーナリスト、事業家になるもの、社会人、生活人としてともかくカナダ社会に恩返しをすることになった。その壮大な普通人の物語である。


目 次


はじめに

序  労働力、社会、文化の越境。
「思想の科学」研究会の不朽の業績/すぐれた標本、カナダの日本人
第1章 バンクーバー市を追い立てられて
さいごの日本町、ウッドファイバーの社宅町/静かなウッドファイバーを追いたてられ/クートネイ谷の廃屋の整備進む
第2章 クートネイ谷へ落ち着く
カッスルガー→スローカン谷の廃村の修理/『ニュー・カナディアン』も商業新聞へ転換/“最大”の町・カズローの日本人コミュニティへ
第3章 懐深いロッキー西麗の村々
クートネイ湖巡るレンタカーの旅/カズローとはどんな「町」、留置場に入る/一九四二年初夏の大移動、「日本人は『棄てられた民』」か
第4章 オーシャン・フォールズからの撤収顛末
内田ふで子からの聞き書き/オーシャン・フォールズからの撤退/内田一作をめぐる男たち/解き明かされる『労働週報』の実態
第5章 『クートネイアン』新聞社に同居
『クートネイアン』新聞社跡を訪ねる/ばらばらにされた「ローカル31」の指導者たち/梅月夫婦を結びつけた日誌風の手紙の束/文章の内容は友人・知己の動静が中心/生活の困窮、極まり、テント生活どん底に
第6章 日本人「移住」を阻んだ住宅不足
『ニュー・カナディアン』新聞社のカズロー移動/一九四二年夏から秋への戦況とカナダ政府/移転地選定での梅月・生山の苦渋/梅月の新聞記者としての決意

第7章 戦時「日米交換船」問題

『ニュー・カナディアン』の一行乗せた特別列車、Go!/心痛めた香港での日本軍によるカナダ兵捕虜問題/日系人の日本への送還と民間人交換の動き/タシメとはどんなところか/心配された「ブラックドラゴン」の影
第8章 野球のくにの「朝日軍」伝説
妻夫木聡・主演の映画『バンクーバーの朝日』の選手達/野球熱、日本国内より一足早く、広く/タシメ「まち」づくりに日本人の総意を引き出す/日本人全体も、梅月個人も悩ました教育問題/梅月、ショーヤマの一行、カズロー到着
第9章 カズロー町での小新聞ビジネス
『クートネイアン』とはどんな週刊新聞か/日本人集団、カズローの市街地占領?/日本人のカズローでの生活始まる/梅月・ショーヤマたちのカズロー仕事始め/温存され、役割高めた教会と日本人学校
第10章 文化的フロンティアを乗り越えて
「文化的フロンティア」に踏み入れる/編集部、カズローに集結/キャンプの公教育に「兵役拒否者」の協力/カズローに住み続けた日本人教師
第11章 カズローに残った日本人女教師阿田木あや子
「カズローに墓標を」と日本人女教師/カズローでの『ニュー・カナディアン』/『ニュー・カナディアン』の情報ネットワーク/『ニュー・カナディアン』はやはりエスニック紙
第12章 戦時中の収容日本人の生活
キャンプ収容日本人の生活/梅月がBC州の農村部で見たものは/ネットワークで強まった「日本人」意識/祖国へ帰るべきか、否か。そして「祖国」とはなにか。
第13章 カズロー住民の対日本人観の変化
『クートネイアン』新聞社の貢献/『クートネイアン』も住民の輿論も変化/BCSCの対日本人施策の進行
第14章 難題抱えたタシメ収容所
佐久間多重と「タシメ」収容所/タシメキャンプの建設/「タシメ村」の人々の間に断層の気配/タシメの「愛国的」地下新聞
第15章 日本人は、どう「社会移動」に成功したか
日本人の国外追放の策動始まる/日本人の「忠誠度の識別」始まる/「忠誠心」調査と日本への強制追放の布石/戦時下。それでも日常はある/戦時での上昇社会移動の事例、学歴と専門職
第16章 通婚圏、住居圏の壁への風穴
居住圏・一九四四年までにどこまで拡張したか/百花繚乱、燎原の火の文芸創作活動/通婚圏はどこまで拡大したか/職業圏はどう広がって来たか
第17章 職種・職業選択圏の拡大
職種圏の拡大、第一次産業からの脱皮/カナダ政府の日本人「処理」も戦争終結後のことに/一九四四年のカズロー、「小さなスイス」
第18章 さよならカズロー、さらに東へ
拡散する日本人への輿論と『ニュー・カナディアン』/『ニュー・カナディアン』社、いよいよウイニペグへ/独立不羈の新聞、ウイニペグでコミュニティ再建

著者紹介
田村紀雄 たむら・のりお
1934年生まれ 東京経済大学名誉教授 社会学博士
思想の科学研究会、日本移民学会、日本インターンシップ学会
その他の会長を歴任。多数の学会・研究会の創立に参画、役員も。

本書に関連する主要著書
『コミュニティ・メディア論』1972年、現代ジャーナリズム出版会
『アメリカの日本語新聞』1991年、新潮社
『カナダの日本語新聞』1991年、PMC出版(新保満、白水繁彦共著)
『国境なき労働者とメディア』1997年、日中出版
『海外の日本語メディア』2008年、世界思想社
『ポストン収容所の地下新聞』2009年、芙蓉書房出版 ほか


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