連載 ◎ [横浜・大佛次郎記念館]東京から来て 天保堂苅部書店 横浜と歩む 第8回 ネコの本屋

第8回 ネコの本屋

拝啓、大佛次郎様。さいきんの読者です。先生は明治30年(1897)に横浜の英町のお生まれです。私にとっては曾祖父の世代に近い方。

今も港の見える丘公園に先生の業績と書物史料の遺産を持つミュージアム大佛次郎記念館が建ち、時代に沿った企画展示を続けるおかげで訪れるわれわれには時折その後ろ姿をミナト横浜に見かける錯覚を起こします。

大佛次郎記念館入口。
入館を出迎える猫たちも見所。
風格が大佛作品に通じる。

つい先日も、猫の写真を方々から募集した企画展が催されたようですが、これは先生が大の猫好きで実際に沢山の猫の飼い主であったこと、小説や随筆にも彼らのようすを書かれていることが有名で、記念館入り口から館内まで変幻する猫のブロンズ像が主人に寄り添っています。先生のミュージアムからアーチ橋を渡ったわずかの所には神奈川近代文学館があります。

この辺りを訪れて間もなかった私は、坂を下り港沿いに歩き、先生に縁深いホテル・ニューグランドの玄関を入ると、ロビーへ続く階段には一段も踏むことなく、バー・シーガーディアンⅡでカクテルを口にして、ちょっと知った顔をしていたことがありました。

でもその折に私はまだ先生の作品にいくつも触れていなかったですし、そもそもこの横浜の都市がたどってきた歴史に関心を向ける努力を怠っていたせいで、先生の作品も、ミュージアムも、ホテルニューグランドもそれぞれ観光地の点でしかありませんでした。

数年が立ちました。

私は偶々野毛坂通りの古書店、天保堂苅部書店を訪れると番台近くに先生の書かれた「鞍馬天狗」や「赤穂浪士」など年季の入った版が並べられているのを見つけたり、他にも横浜・神奈川県の関連書籍にかなり書棚をさいていますから、きっと先生の作品の話を聞けると思って、店主の苅部正さんにうかがいましたら、先生もこの店をご存じだったとの返事。

「ネコの本屋ってね、呼んで下さっていたようです。」

店主の口ぶりは、同じ話をかれこれ何十年とくり返されてきたでしょうに、先生にへりくだるとは異質の敬意がこめられているように感じられ、私はついその先の思い出を聞きたくなってしまうのです。

「くりくり坊主の頃にネ、古本屋のじぃさんに連れられて、鎌倉の大佛邸へ行ったっていう記憶がさ、ボクにはあるんですよ。」

苅部少年を先生のお宅へ連れて行った古本屋のじぃさんとは、東京神田の古書街から横浜へ来てこの天保堂を開いた篠田亮一さんのこです。篠田さんと先生とは、大正時代に博文館の仕事の関係からご縁があったらしいことを苅部さんは後に聞いています。

さて、本当の孫のように可愛がっていた天保堂のおじぃさんとはいえ、まだ小学生なりたての苅部少年を何故お供に誘ったのでしょうか?

先生はすぐにお気づきのことでしょう。

その時の天保堂おじぃさんの声を、苅部さんが組合史に書かれています。

「今日はお昼から鞍馬天狗の小父さん家へ行くから一緒に行くかい?」

鞍馬天狗こそ先生が創った時代のヒーローで、当時数々の映画にもなり、子どもたちにも大人にも親しまれたそうですネ。

「一緒に行くよ! おじぃちゃんって、鞍馬天狗と知り合いだったの?」

苅部少年の問いかけに古本屋のおじぃさんは何て言ってあげたンでしょう。

「鎌倉に住んでいらっしゃるんだ」
「鎌倉って? あの大仏の所でしょう?」
「おぉ、よく知ってるね。そうそう、その大仏さんの弟分みたいな方だ」

先生のペンネームは鎌倉大仏の次郎っていうことでよろしかったでしょうか・・・。

こうして二人は夏の昼下がりに省線電車(当時の鉄道省運営の鉄道路線。現在のJR)でガタゴトと鎌倉へ出向き、鞍馬天狗に会いに行ったのでありました。

そして二人を出迎えたのがスラリと背の高い紳士のような風貌で着物姿の先生と数匹のネコでした。

先生は天保堂を随筆の中で《ネコが飼ってあったので、私の家では「ネコの本屋」と呼んで、店の名を考えなかった。》とお書きです。(神奈川新聞連載随筆「ちいさい隅」昭和36年(1961)1月24日付掲載「古本探し」)

幻の天保堂の飼い猫(提供 天保堂苅部書店 苅部正)
嵐寛寿郎の演技で一世を風靡した鞍馬天狗の記事や篠田亮一氏家族を撮った写真(提供 天保堂苅部書店 苅部書店)

先生がもし天保堂の篠田さんを出迎えるなり「やァ、ネコの本屋さん、いらっしゃい」なんて茶化していらしていたら面白いもンです。

この訪問で、苅部少年はついに鞍馬天狗からサインをもらい損ねたものの、大人になってから、サインにも増して替え難い体験に気がつかれたのです。(つづく)

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文責・板垣誠一郎

参考文献

・『神奈川古書組合三十五年史』組合史編纂委員会(代表 高野肇)編著、神奈川県古書籍商業組合、1992年
・『大佛次郎随筆全集3 病床日記ほか』大佛次郎著、朝日新聞社、1974年
・『西洋の見える港町 横浜』中野孝次/著、沢田重隆/絵、草思社、1997年


紹 介


天保堂苅部書店

tenpo-dou karube shoten

「日本の古本屋」URL: https://www.kosho.or.jp/abouts/?id=13000040

住所:〒231-0064 神奈川県横浜市中区野毛町3-134 横浜市中央図書館下(野毛坂) 定休日:月曜日 TEL:045-231-4719  FAX : 045-231-4719 最寄り駅:桜木町駅、日ノ出町駅 facebook(フェイスブック)リンク

2019年2月3日撮影・板垣

大佛次郎記念館

The Osaragi Jiro Memorial Musuem

公式サイト http://osaragi.yafjp.org/

大佛次郎記念館、陸橋、神奈川近代文学館は建築家・浦辺鎮太郎による設計。

2019年2月配信開始!

東京から来て 天保堂苅部書店 横浜と歩む

第1回 横浜駅のおじいちゃん
第2回 3行の経歴
第3回 神田神保町時代
第4回 天保堂の番頭
第5回 ミミー宮島と野毛のジャズ
第6回 野毛のバラック
第7回 伊勢佐木町の有隣堂
第8回 ネコの本屋
第9回 バー・マスコットのムッシュウ
第10回 野毛大道芸

 

投稿者: 社会評論社 公式ブログ - 目録準備室 -

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