晩年のマルクスが構想した人類史の再構築を読み解くために──
カール・マルクスは晩年、モーガン『古代社会』やラボック『文明の起源』など古代史・人類学研究書の読書を通じて、人類史を総合的に再構築する道に分け入る。人類の社会構造と精神構造に関して、氏族組織、フェティシズムなどをキーワードにして探求する。本書の第I部において、マルクスによるド= ブロス『フェティシュ諸神の崇拝』摘要を検証する。 第II部において、老マルクスによるフェティシズム概念のド=ブロス的再建過程を読む。
Sind nicht zu verwechseln mit Fetisch.Fetichism is an attack on the Deity.
(フェティシュを思いちがいしてはならない。フェティシズムは神への攻撃である。)
A5判並製144頁 定価=1800円+税
ISBN978-4-7845-1858-6 2018年10月下旬刊
はじめに(本書より)
唯物史観と剰余価値学説を確立する以前に、或いは共産主義者同盟や第一 インターナショナルの指導者として世界史に登場する以前に、若いマルクス がライン州でジャーナリストの体験をしたこと、これは周知の事実である。 また、そのジャーナリスト時代、すなわちケルンで『ライン新聞』の編集に 携わっていた期間(1842~43)に、マルクスが、その後における自己の思想 形成にとってたいへん重要な思想的・倫理的・理論的研鑚を積んだことも、 メーリングやルカーチの指摘をまつまでもなく、早くから明らかにされている。
だがそのような、いわば修業時代の青年マルクスの流動的な思想形成期の 只中に、時として『資本論』(第1巻、1867)を著わした頃のマルクスの、 『ゴータ綱領批判』(1875)期のマルクスの、煮詰められた思想的エッセンス を無意識に持ち込んでしまうケースが、まま見うけられる。この傾向は特に、若いマルクスが先行の社会主義者ないし残余の同時代思想家からすでにどれだけ秀でていたかという点や、後年の完成されたマルクス思想に特徴的 なことがらが若い頃にどの程度まで萌芽として垣間見られたかという点を調 査した研究に、往々際立っている。若いマルクスに対するそのような読み込 みは是が非でも慎まねばならないと自戒しながら、けっきょくのところ無意 識にその陥穽にはまってしまった例として、向坂逸郎の論考「『ライン新聞』 におけるマルクスの思想」(所収:『マルクス経済学の基本問題』岩波書店、1962)がある。「『ライン新聞』の時代に、マルクスの中にマルクシズムへの 発展の芽が、どのように存していたかである。注意深い読者には、『ライン新聞』の中にすでにこの発展の契機が、つかまれていることがわかる」。(同書、69-70頁)向坂は、若いがゆえのマルクス思想の意外な展開・振幅・多 様性でなく、賢いがゆえの一方向性を強調するという、かような発想のもとに、いま一つの論考「『物神性』の発見」をも執筆した。その中で向坂は、「この物神性の発見によって、『資本論』は不朽のものとなった」。(同書、99 頁)と綴っている。その際「この物神性の発見」は、なによりもまず『ライン新聞』時代にその発端がみられるとされているのである。
ところで、今回私が、マルクスの『フェティシズム・ノート』(1842春の摘要と推定される)を注解付きで邦訳・紹介しようと考える動機は、向坂の フェティシズム言及の動機と、表面的には、まるで違う。私は、『ライン新 聞』に係わる直前マルクスがシャルル=ド=ブロス(1709~77)の著作 『フェティシュ諸神の崇拝』(1760、2008年に法政大学出版局から杉本隆司訳が 刊行された)をピストリウスによる独訳本(1785)で読み、これを通じ、炎燃えさかるがごとき思いで描き出したフェティシズム的人間観が、その後い かに急走に失われてしまったかを、まず第一に問題としたいのである。また 第二には、若いマルクスがほんのいっとき握りしめたド=ブロス的・フェ ティシズム的人間観が、ずっと後の、最晩年の1882年秋に、持病で苦しみ つつジョン=ラボック著『文明の起原』(1870)を読書した老マルクスの脳 裏に不死鳥のごとく飛来したことを、最大重要視したいのである。 若いマルクスは、1842年10月25日付『ライン新聞』第298号において、 次の発言を放った。
「ごくひろい意味での封建制度は、精神的な動物の国であり、区分された 人類の世界である。この世界は、みずから区別する人類の世界に対立するも のであって、後者(みずから区別する人類の世界、すなわちフェティシズムの世 界)においてはたとえ不平等があるかにみえても、実はそれは平等がおりな す色模様にほかならない。未発達な封建制度の国やカースト制度の国(つま り区分された人類の世界)では、人間は文字どおりカーストに分割されており、偉大なる聖なるもの、すなわち聖なる人間の(des großen Heiligen, des heiligen Humanus)高貴な、自由に相互に交流し合う構成分子が、切りさか れ、たたき切られ、強制的に引き裂かれているところであるから、これらの 国ではまた動物崇拝、すなわち本来的な姿での動物崇拝が存在する。」 (MEW, Bd.1. S.115, 大月版『全集』第1巻、133-134頁、カッコ内は石塚、一部改訳)
ここでマルクスは、「カーストに分割され」た、「強制的に引き裂かれ」た 時代に特徴的な動物崇拝よりも以前に存在した、「偉大なる聖なるもの」「聖 なる人間」の時代に特徴的な或るひとつの精神運動を、語らずして語ってい る。これはヘーゲルにでなく、ド=ブロスその人に感化された若いマルクス の思想的炎のほとばしりである。それこそまさしく、彼が1842年7月10日 付、11月3日付論説で力説した「フェティシズム」なのだ。私は、『資本 論』に発展するフェティシズム理論─私のいうネガティヴ・フェティシズム ─でなく、『資本論』に行き着く過程ですっかり萎縮してしまう方のフェティシズム─私のいうポジティヴ・フェティシズム─を問い正したいがた め、今回『フェティシズム・ノート』を読むのである。
著者
目 次
はじめに
第Ⅰ部 【検証】ド=ブロス『フェティシュ諸神の崇拝』ドイツ語訳の摘要
第1章 アフリカ先住民およびそのほかの野生諸民族におけるフェティシズム
第2章 現在のフェティシズムとの比較における古代諸民族のフェティシズム
第3章 フェティシズムの諸原因
第Ⅱ部 古代史・人類学研究の遺産
第1章 マルクスのフェティシズム論
1 若いマルクスのド=ブロス読書──聖なる人間の発見 2 経済学的フェティシズムの創始──転倒の世界としての宗教の夢幻境 3 老マルクスの先史研究──神を攻撃するフェティシズム再見
第2章 フェティシズム史学の樹立にむけて
1 唯物史観の原始無理解 2 エンゲルス・クーノー・デュルケムの差異 3 原始労働を律するもの
補 論 フェティシズムと歴史知
著者略歴 石塚正英(いしづか まさひで)1949年、新潟県上越市(旧高田市)に生まれる。立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程満期退学、同研究科哲学専攻論文博士(文学)。1982年~、立正大学、専修大学、明治大学、中央大学、東京電機大学(専任)歴任。2008年~、NPO 法人頸城野郷土資料室(新潟県知事認証)理事長。
主要著作
〔論説〕学問論の構築へ向けて、立正大学学生新聞会編集『立正大学学生新聞』第229-231号、1970年(歴史知と学問論、社会評論社、2007年、所収)
〔著作〕叛徒と革命―ブランキ・ヴァイトリンク・ノート、長崎出版、1975年
〔著作・学位論文〕フェティシズムの思想圏―ド= ブロス・フォイエルバッハ・マルクス、世界書院、1991年
〔編著〕ヘーゲル左派──思想・運動・歴史、法政大学出版局、1992年
〔編著〕ヘーゲル左派と独仏思想界、御茶の水書房、1999年
〔著作集〕石塚正英著作選【社会思想史の窓】全6巻、社会評論社、2014-15年
〔著作〕革命職人ヴァイトリング―コミューンからアソシエーションへ、社会評論社、2016年
〔著作〕地域文化の沃土・頸城野往還、社会評論社、2018年
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