連載 ◎ [豊島区・長崎]センセイも歩いた椎名町 第5回 春近書店 先代・甲子男さんの20代

第5回 春近書店 先代・甲子男さんの20代

まだまだ復興のさなかにあった町なかに、春近書店の屋号は行き交う人にそれまで望めなかった春の到来を期待させる応援歌に聞こえたのではないでしょうか。

店主であり戸主であった人は林甲子男(はやし・きねお)さん。大正6年の生まれで若くして長野の東春近村から上京して、巣鴨にあった巣鴨高等商業学校(旧制。千葉商科大学の前身)に学ぶため、萬世橋に近い神田のミルクホールで学費も稼ぎました。

開店から間もない春近書店の林甲子男さんたち(提供 春近書店・林博之)

ミルクホールは牛乳屋が営んだお店で、牛乳やコーヒーの飲み物とパンや西洋菓子を提供していたそうでして、当時の学生やサラリーマンに人気でした。入口にミルクホールと大きく書いた暖簾をかけている写真を見ると、ラーメン屋のような店構え。このミルクホールには別の見所がありました。それは決まって官報や地方新聞を置いていた点です。お客は多くの情報を得られたのでしょう。

ミルクホールでの仕事の合間に、お店にあった新聞を手にとり、時には故郷のことを気にとめた若い甲子男さんを想像します。

甲子男さんの20代を歴史年表に重ねてみましょう。20才になる1937年7月に日中戦争が始まり、1941年12月にはアメリカとイギリスとの宣戦を布告しアジア・太平洋戦争に入って行き、28才の年に終戦を迎えます。20代を貫いていたのは日本が戦争を続けた時代です。

1945年の8月15日は甲子男さんは北京の郊外で迎えています。その訳は、供水の井戸を掘る任務の部隊に所属していたのです。

戦地にいた時に、甲子男さんは偶然にも実兄と再会を果たします。馬に乗って慰問に訪れた将校を見たとたん「アニキじゃないかぁ!」と呼んだら自分にたいする周りの目も変わったンだと、親戚の集まりになれば酔いのついでに語る姿を、息子の林博之さんは何度も聞くことになります。

復員した甲子男さんは生活のため改めて東京で仕事を探します。学生の頃になじみだった目白の古書店・明善堂に声をかけてもらい仕事をおぼえながら、偶然にも椎名町にお店を出すことになったのです。終戦からまだ2年にも満たない昭和22年(1947)です。

復員や疎開先から戻ってきた人たちの加入で東京の古書組合池袋支部の加入数が増えたことが組合史に指摘がありますが、甲子男さんもちょうどその1人だったのでしょう。池袋の立教大学に近い夏目書房の夏目純氏から組合加入を薦めがあり甲子男さんは数年後に加わったようです。

ところで、戦地で出くわしたお兄さんは白馬に乗っていたという話です。戦争には馬も沢山、戦地に連れて行かれています。昭和の戦争だけで24万頭は海を渡ったといいます。軍馬育成のために日本の馬は大型化し、水田には狭くなり皮肉にも農耕には馬より牛が代用されて行く話もあります。

馬とともに戦争の悲運を知る方を見つけました。東京芸人の江戸家猫八の3代目は巣鴨の出身。ちょうど甲子男さんの通った学校の辺りでもあります。甲子男さんより4つ後の生まれですが、劇団の仕事先に召集令状が届き従軍しています。新兵に任された馬と馬小屋を世話する所から語られる『吾輩は猫ではない2 兵隊ぐらしとピカドン』の本は馬場のぼるさんの穏やかな挿絵を挟みこみ、猫八さんたち船舶兵が広島の原爆に遭ってキノコ雲を大空に見上げるまでの3年間の物語です。

動物の物まねを得意とする猫八さんの芸を、子どもの頃にブラウン管の向こうに見た気がします。あの時の動物は何だったのでしょうか‥‥。

ことしの春に中山競馬場へ行く機会がありました。騎手を乗せた馬が登場し各馬がウォーミングアップしゲートに収まるやパパン!と一斉に走り出し、ゴールを過ぎてからもしばらく自然のバネがしぼんで行くまで駆けて行く光景を数時間、目の当たりにしてすっかり魅了されました。競馬場は賭け事と一緒に馬の駆ける光景を楽しむ場所だと知りました。動物は言葉を持ちませんが、仲間と知れば実に穏やかであり、頼もしい存在です。

かつて農耕馬や物の運搬、馬車など馬は社会に欠かせないものでした。機械の普及が実感を湧かしにくくさせますが、馬にどれだけ助けられてきたかを想像するためにも競馬場見学は印象に残りました。

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新座市堀之内の乗馬クラブで見かけた白馬(2018年春)


参考文献

 

  • 『吾輩は猫ではない2 兵隊ぐらしとピカドン』江戸家猫八著、ポプラ社、1983年
  • 『江戸・東京 暮らしを支えた動物たち』JA東京中央会、農文協、1996年
  • 『牛乳と日本人』吉田豊、新宿書房、1988年
  • 『東京古書店組合五十年史』小林静生/編集責任、東京都古書籍商業協同組合/発行、1974年

文責・板垣誠一郎


紹 介

春 近 書 店

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「日本の古本屋」URL: https://www.kosho.or.jp/abouts/?id=12060470

住所:東京都豊島区長崎1-5-2 営業時間:12時〜20時 定休日:月曜日・特例として大雨の日 mail:harutika@qg8.so-net.ne.jp TEL:03-3957-5454 FAX : 03-3530-5315

夜の春近書店(撮影 板垣)

2018年7月配信開始!
センセイも歩いた椎名町

第1回 ピカピカの町の本屋さん 
第2回 春近書店・林博之さんに聞いた思い出話 
第3回 縁日のキオク 
第4回 小沢昭一さんも歩いた椎名町 
第5回 春近書店 先代・甲子男さんの20代 
第6回 伊藤榮洪先生も歩いた椎名町 
第7回 トキワ荘通り
第8回 谷端川
第9回 池袋モンパルナスを受け継ぐ
第10回 目白最古の BAR なすび


投稿者: 社会評論社 公式ブログ - 目録準備室 -

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