村山和夫/著・石塚正英/編『頸城野近代の思想家往還』 ─新潟の高田平野を囲む山間〝くびき野〟に刻まれた幕末明治・日本人物伝

村山和夫/著・石塚正英/編『頸城野近代の思想家往還』が刊行になりました。編者序文をご案内します。

編者のことば

石塚正英

NPO法人頸城野郷土資料室は、市民の市民による市民のための郷土文化・生活文化を調査研究し、その成果を地域社会発展に役立てる方向で構想され、平成20年2月に新潟県知事の認証をうけ法人登記をなし、同年4月1日に創立された。本法人を構成する事業部に以下のものがある。

① 野外調査部(頸城野木彫狛犬調査、くびき野ストーン調査、文学碑めぐり)

② 学術研究部(協同研究「文学と近代から見た直江津」、ワークショップ「暮らしのインタビュー」、文化財「くびき野ヘリテージ」選定)

③ 教育事業部(NPO学園くびき野カレッジ天地びと運営)

ところで、上記②の前史として、くびき野ではすでに昭和二〇年代に上越郷土研究会が設立され学術誌『頸城文化』を刊行し、郷土研究者の業績を継続的に発表してきた。その意義は力説してしすぎることはない。

本法人は、その足跡を前提にしている。なるほど『上越市史』をはじめとして、近年になってあらたに編集された市町村史誌のもつ学術的な意義はすでに充分に証明されている。

しかし、郷土の研究者たちが長い年月を費やして積み上げてきたローカルな業績は、行政の支えと地方税の支弁でまとめられる市町村史誌のそれとは別の意義があるといえる。そのような意味からも、本NPOの活動には、以下の特徴がある。

第1に地域住民の目線からみた郷土遺産・文化財に意味を持たせる。専門研究者が認定する学術的価値のほかに、地域住民が生活上で実感する生活文化的価値に重きをおく。かような活動を介してくびき野文化の特徴・個性を学び知る人は、郷土における就労や生活において明日からの目的意識が明確になる、そのような郷土人の育成、これが本NPOの活動目的である。

ところで、くびき野には、昔からたくさんの「よそ者」が入り込んできた。

古代では白山信仰をもたらした越前の泰澄、妙高に熊野信仰をもたらしたかもしれない裸形上人、中世に向かっては浄土真宗を根付かせた親鸞、江戸期では、1689年7月にくびき野を訪問した松尾芭蕉。

そのようなくびき野にあって、海岸部の直江津(=湊町)はフローを特質としている。それに対して平野部の高田(=城下町)はストックを特徴としている。フローはヒト・モノ・カネが絶えず流動しており、その勢いが繁栄の動力源である。ストックはヒト・モノ・カネが蓄積されており、その伝統が繁栄の土台である。

江戸時代、北前船は北海道・東北からニシンやイワシを搬送して直江津にいたり、陸揚げしたが、その多くは新田の干しか(魚粉)となって、田んぼの肥やしにされた。そのおかげでもって米はくびき地方の特産となったのである。

直江津は進取の精神に満ち、北国街道を南下するに連れ、その地には直江津のヒンターランドが広がるのだった。その勢いは、明治時代になって直江津が鉄道の要衝となるや、いっそう増すのだった。

それに対して高田藩は、開府時の75万石から江戸中・末期には15万石に縮小し、武家屋敷には空き地が広がり、藩は気の毒なほど萎縮した。とはいえ、明治時代に軍都として再生するや、高田は近郷近在の農村部を巻き込んで発展し生活文化を豊かにし、やがて両市は、昭和46年に合併して上越市となった。さらに平成17年、上越市は近隣13町村と合併して現在の上越市となったのである。

さて、平成29年の今日、NPO法人頸城野郷土資料室は設立10周年目に入っている。メインの事業である「くびき野カレッジ天地びと」は通算300回をゆうに超えている。なかでも、本NPOの顧問にして頸城野博学士である村山和夫先生は、以下のように講座を担当して今日に至っている。

・軍都高田の相形(平成22年度後期)
・くびき野文人論客往来1(平成23年度前期)
・勝海舟、川上善兵衛ほか(平成23年度後期)
・岡倉天心、尾崎紅葉ほか(平成24年度前期)
・頸城にとどまった会津藩士(平成25年度前期)
・麦倉助太郎と長州征討ほか(平成25年度後期)
・小林古径―幼年期の確認と検討  (平成26年度前期)

そのような経緯に鑑み、創立10周年記念事業の一環として、村山先生がカレッジ講座で担当された講義を中心に先生の〔くびき野人士済々〕研究を編集して一著とする企画を立案した。本書はその成果である。ついてはそのことをも兼ねあわせ、本書をダブル記念出版物としたい。

〔NPO法人頸城野郷土資料室 理事長〕


【目次】

第一部 くびき野を訪れし人士済々

一、 勝海舟   越後の勝家の祖と頸城の地
二、 福沢諭吉  上越に二度も訪れることとなる
三、 東郷平八郎 海将が頸城の地に残したもの
四、 岡倉天心  小林古径を育て赤倉の地を愛した
五、 夏目漱石  大患を救われた森成麟造との交流
六、 森鴎外   『山椒大夫』「東条琴台碑」に偲ばれる
七、 尾崎紅葉  粋人の赤倉・直江津来遊

第二部 くびき野に生まれし人士済々

八、 竹内金太郎 日本の大事件に関わった弁護士
九、 白石元治郎 横浜に白石町の名を残した鋼管王
十、 竹村良貞  事業新聞の先覚者、帝国通信社長
十一、庄田直道  明治の時代を駆け抜け事績を今に
十二、藤縄英一  民間航空機操縦免許第一号取得者
十三、小林百哺  和算を激動の経世に生かした
十四、高見実英  浄泉寺の住職として英語塾を開いた

第三部 特記二件

十五、小林古径記念美術館設置を迎えて
十六、会津藩士と越後高田

著者■ 村山和夫 (むらやま かずお)
 1929年、新潟県上越市(旧高田市)に生まれる。新潟大学高田分校終了、法政大学文学部史学科卒業。1951年~1990年、県内国公立小中学校、市・県教育委員会に勤務。1990年~2003年、上越市文化財審議委員会(副委員長)、上越一帯市町村史編纂従事。2008年~、NPO法人頸城野郷土資料室顧問、同NPOくびき野カレッジ天地びと講師。頸城野博学士。主要著書 『高田摘誌』北越出版 、2001年。『高田藩(シリーズ藩物語)』現代書館 、2008年。『くびき野文化事典』社会評論社 、2010年刊。
編者 石塚正英 (いしづか まさひで)
 1949年、新潟県上越市(旧高田市)に生まれる。立正大学大学院文学研究科史学専攻博士課程満期退学、同研究科哲学専攻博士(文学)。1982年4月~、立正大学、専修大学、明治大学、中央大学、東京電機大学(専任)歴任。2008年~、NPO法人頸城野郷土資料室(新潟県知事認証)理事長。主要著書 石塚正英著作選『社会思想史の窓』全6巻、社会評論社、2014〜15年刊。

村山和夫/著 石塚正英/編
頸城野近代の思想家往還

四六判上製252頁 定価本体2500円+税

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投稿者: 社会評論社 サイト

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