若者たちの巡礼都市的な存在だった新宿とは──『60年代新宿アナザー・ストーリー ─タウン誌『新宿プレイマップ』極私的フィールド・ノート』

本間健彦/著『60年代新宿アナザー・ストーリー ─タウン誌『新宿プレイマップ』極私的フィールド・ノート』


あの時代の若者たちの
巡礼都市的な存在だった新宿とは、
どんな街だったのか。

本間健彦

一九六〇年代の新宿は「若者の街」と呼ばれていた。とりわけ六八〜六九年当時の新宿の街には、同時代にユーラシア大陸の向こう側のパリで起きた五月革命や、対抗文化を志向するアメリカの若者たちのヒッピー・ムーブメントが飛び火したような様相や熱気があった。

都市の歴史にも青春時代があるとすれば、あの頃の新宿は青春の真っ只中にあって燃えていたのだろう。もちろん、その渦中を生きた若者たちひとりひとりの心の奥底を覗くなら、「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ」(ポール・ニザン『アデンアラビア』)という、あの名高いに共感する者たちの燃えながら燻っている炎のような心情が窺えたはずである。

一九六〇年代とは、どんな時代だったのか。

あの時代の若者たちの巡礼都市的な存在だった新宿とは、どんな街だったのか。

その時代からすでに半世紀になろうかという大昔の事象だから、その状況を正確に記録しようとすれば、歴史学や社会学の知見や学識に基づいた発掘作業などが必要なのだろうけれど、それは私の任ではない。

私自身にとっての六〇年代は、六〇年安保闘争のあった年から、背を向けて行かなかった七〇年の大阪万博の開催された年までの一〇年で、この一〇年は私の二〇代のオール・シーズンに当たる。その間に学生生活を終え、社会人の仲間入りをして、夕刊紙記者、スキー場旅館の番頭、新興の雑誌編集者などを遍歴した後、六〇年代末、新宿のタウン誌編集者になった。流れ者の履歴を披露しているようであまり誇れる足跡ではないけれど、これが私の六〇年代だった。

 

本間健彦/著
60年代新宿アナザー・ストーリー
タウン誌『新宿プレイマップ』極私的フィールド・ノート

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第1章❖その頃、新宿は〈塹壕〉だった

新宿二丁目「きーよ」の青春/モダンジャズ開眼/ジャズの歴史から学んだこと/ジャズ喫茶店主・中平穂積の歩み/孤独な散歩者だった植草甚一/─新宿ジャズ喫茶の終焉/中上健次・村上春樹に引き継がれたスピリット

第2章❖六〇年代から始まる自画像

夕刊紙の新聞記者時代/先輩・矢崎泰久と斎藤龍鳳の背中/〝遊撃戦士〟斎藤龍鳳伝説//優雅な生活への訣別/ヒッピーでもあった龍鳳さん/ゲリラに出て行く朝/万座温泉での番頭生活

第3章❖アナーキーな風に吹かれて

タウン誌『新宿プレイマップ』創刊/どん底時代の『話の特集』/『話の特集』〝居候〟編集者時代/いざ、新宿へ出陣

第4章❖焼け跡闇市派精神、ふたたび

野坂昭如の〝暴走対談〟顛末/焼け跡闇市派の逆襲/田中小実昌の小説『星のきれいな新宿』/私の愛した「アソビ人間」山口瞳/殿山泰司のゲリラ漫文

第5章❖コマーシャルの台頭、その光と影

創刊号合評会での激震/ボツ原稿ラッシュの乱/AD山下勇三の降板/ビジュアル・クリエーターの台頭/空中ブランコの恍惚と不安/PR誌としてのお墨付き/コマーシャルの光と影  スケッチ・オブ・新宿 '60:その1●海のない港町:その2●書を捨てよ 町へ出よう:その3●紅テント・ゲリラ風雲録抄

第6章❖「新宿砂漠」の井戸掘り人

黒田征太郎の「TOWN」/寄稿者たちの新宿観/広場の消えた〈巨大な無〉の街/創刊一周年に開廷した〈新宿裁判〉

第7章❖七〇年代を生き抜くための航海談論

全共闘世代の異端児・芥正彦/「三島由紀夫論」の衝撃/ビートルズ論という踏み絵/五木寛之と東由多加の「漂流」談論/移動共同体的劇団/戦争を知らない世代へ異議申し立て/劇画家・宮谷一彦の熾烈なアクロバット

第8章❖『新宿プレイマップ』の同志たち

〝新宿浪人〟たちが馳せ参じた編集室/正規雇用なんかどこ吹く風/同志・高田渡の発見、発掘/巻頭コラム『街』に集った詩人たち/我らの時代の雑文豪・草森紳一/『新宿プレイマップ』の四人のデザイナーたち

第9章❖タウン・オデュッセウスの旅立ち

『新宿プレイマップ』廃刊の予告/地方にも読者のいたタウン誌/克服できなかった根源的なジレンマ/私にとっての六〇年代の終焉/「敗北の美学」なんて歌えない

本書は、六〇年末から七〇年代の初頭にかけての約三年間、『新宿プレイマップ』という新宿のタウン誌の編集者を務めた私が、あの時代と、あの時代の自分の歩みや身の回りの出来事を追想し記録したものである。

回想録とか伝記を書くような人物でも柄でもないので、「タウン誌『新宿プレイマップ』極私的フィールド・ノート」というサブ・タイトルを付すことにした。「極私的」という用語は、当時、詩人鈴木志郎康が『新宿プレイマップ』に連載していた「極私的盛り場潜りは夢の屋台組」というタイトルを思い出し、拝借したもの。私が本書で意図したことは、近年、多くの人びとが書き始めた自分史を、私も書いてみようということだったからだ。

それにしても公開することがはばかれるような、気恥ずかしい、そんな自分史になってしまった。〝遅れて来た青年〟のような生き方をしていた六〇年代の私の自分史を書くということになると、これは免れないことだった。だから長いあいだ書く気になれなかったのだけれど……。

だが、いつの間にか私も〝老兵〟となっていることに気づくようになり、あの時代をふり返り、気恥ずかしいなどという感情は振り払い、記録にとどめておこう、と、ようやく決心がついた。それは、六〇年代の私自身の未熟で青臭い体験こそが、良くも悪くも自分の原点だったということを認識できるようになったからだった。六〇年代に、変革を夢み、様々な文化蜂起を志した若者たちに愛読されていた詩人谷川雁の本のなかから「原点が存在する」と題した一文の一節を引いておこう。

「段々降りてゆく」よりほかないのだ。飛躍は主観的には生れない。下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちるとろへ、そこに万有の母がある。存在の原点がある。

繰り返すようだけれど、本書は回想録として書いたわけではない。ドキュメンタリーというものでもない。谷川雁が指し示した「存在の原点」へ降りてゆこうといった方法論に導かれて書いた、私の六〇年代自分史である。私は詩人ではないので、歌うことはできない。だから、せめて記録しておこう。そういう思いと、企てで、私は本書を書いた。

60年代新宿アナザー・ストーリー タウン誌『新宿プレイマップ』極私的フィールド・ノート

本間健彦/著
60年代新宿アナザー・ストーリー
タウン誌『新宿プレイマップ』極私的フィールド・ノート

A5判ソフトカバー/344ページ/定価=本体2,500円(税別)
ISBN978-4-7845-0999-7
2013年6月刊 発売中


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投稿者: 社会評論社 サイト

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